僕はあまり王道の恋愛映画などは見ないのですが、複雑な男女の心の機微について描いている映画は好きでたまに観たりしております。
イタリア映画界の巨匠ベルナルド・ベルトルッチ監督の『ラストタンゴ・イン・パリ』は、そんな男女の複雑怪奇な心模様を描いた作品です。
昨日ちょうど観終えましたので、その魅力や感想をまとめてみたいと思います。
※本記事は同映画のネタバレを含みます。
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『ラストタンゴ・イン・パリ』ってどんな映画?
『ラストタンゴ・イン・パリ』は1972年にイタリアとフランスの合作映画として公開されました。(日本での公開は翌73年)
監督はベルナルド・ベルトルッチ。代表作は『ラストエンペラー』など。
主演は『ゴッドファーザー』でおなじみのマーロン・ブランドです。彼は「20世紀最高の俳優」と評されるほどの名優で、登場人物の少ない今作では彼の演技が一段と映えます。
ブランドはこの作品に出るまで俳優としては憂き目の時期で、この映画と同年公開の『ゴッドファーザー』で再び脚光を浴びます。
あらすじは以下の通り。
パリのアパルトマンの空室でうらぶれた中年男(マーロン・ブランド)とブルジョア系の若い娘ジャンヌ(マリア・シュナイダー)は単に部屋を探していた身であったが、間違って掛かってきた電話の男に刺激され、男はジャンヌを犯す。ジャンヌにはれっきとしたTVディレクターのトム(ジャン=ピエール・レオー)という恋人が居たものの、アパートで会う時は互いにただのオス・メスとして行為に更ける。やがて男には暗い過去が明らかになり、実は男には自殺した妻が居たという。男はジャンヌを牝の肉玩と見なしていたが、次第に2人の立場が逆転していき男が中年の醜い姿を晒した時、二人の間の肉欲の関係は終わりを告げる。 (wikipediaより)
あらすじだけ聞くと安っぽいポルノ映画のようですが、実際に観てみるとこれがなかなか面白い。
主人公の中年男とヒロインの愛欲模様を描いた作品なのですが、ただのエロティシズムでは終わらない映画なのです。
僕も最初は「うわぁ・・・エロい映画が始まったぞ。」くらいの感想しかなかったのですが、後半に行くにつれキャラクターそれぞれの狂気や心のもろさなどが露わになり、ラストスパートにかけてそれが一気に加速していく。その勢いに観ているこっちもどんどん引き込まれていきます。
実はこの映画、かなりの“問題作”とされていまして・・・。
1970年代前半の映画にして大胆な性描写(一般映画として、アナル・セックスの描写がある初の映画と言われる)が世界中に物議を醸し、本国イタリアに至っては公開後4日にして上映禁止処分を受け、日本でも下世話な話題ばかりが先行し、当時の興行成績は芳しくなかったという。(wikipediaより)
「大胆な性描写」とありますが、本当に大胆です。一応R指定はかかっていなものの、ヒロインの全裸はもちろん、バターを塗ったアナルに挿入したり、主人公自身もヒロインに指を入れられたり。お茶の間では絶対に観れないタイプの映画ですね。
主人公を演じたマーロン・ブランドはこの映画に出演したことを「拷問のような体験だった」とのちに語っており、ヒロイン役のマリア・シュナイダーもこの映画に出演したことをきっかけに波乱万丈の人生を送ることとなります。
名優二人の人生を狂わせた作品なのですが、観ている僕たちはそんなことを気にせずに純粋にこの作品を楽しむのが良いと思います。
『ラストタンゴ・イン・パリ』のここが魅力
男女の肉欲の輝きと醜さ
自分の人生の中でそういった経験が無いからか、「純粋に互いの肉体だけを求めあう男女」という姿にひどく憧れを抱き、そこに美しさすら見出してしまうのです。
主人公の中年男は妻が自殺した悲しみに暮れていたある日、ヒロインである若い女性と出会います。
この二人が出会ったその日から体の関係を持ち、その後もあるアパートの一室で会い続けてはセックスの日々。
主人公はヒロインに対し、「外の世界を忘れてここで会う。お互いの名前などいらない。」と言ってお互いに名前も明かさずに会い続けるのです。まさに、純粋にお互いの体だけを求めあうような関係。
すでにこの時点でだいぶ狂気という異常性を感じるのですが、そう感じた時にはもう作品の魅力に取り込まれていました。
今までも「お互いの体だけを求めあうような関係」という作品は見たことがあったのですが、「名前も住所も、年齢すらも知らない」といった話は初めてだったのですごく衝撃的でした。
ここまで純粋なものだと、先の「大胆な性描写」があってもそれを超越する美しさを感じてしまいます。
しかし、物語も終盤に行くにつれお互いの関係に少しずつ変化が訪れます。
ヒロインには恋人がおり、その恋人との結婚を機に二人の関係は終わりを告げるのですが、そこからが面白い。
それまでは「素性を明かさない主人公と、そんな主人公に心が惹かれていくヒロイン」という関係だったのですが、いざヒロインが「ほかの人と結婚するからもう会えない」と言い出すと主人公は狂ったようにヒロインを追いかけるのです。
そこまでに僕が感じていた「美しい関係」は崩れ去り、「若い女に別れを告げられて醜く追いすがる中年男」の姿が現れます。
この関係の変化に伴うキャラクター性の一面がとても魅力的なのです。
主演のマーロン・ブランドとヒロインのマリア・シュナイダーの名演
この映画の魅力を支えているのは間違いなく、主演のマーロン・ブランドとヒロインのマリア・シュナイダーでしょう。
今作は登場人物がすくないため、ほとんどのシーンで二人のキャラクターのみの会話劇(肉欲劇)が繰り広げられます。
ブランドからにじみ出る狂気性や暴力性。それらがこの物語の魅力を何倍にも引き上げていると思います。
特に、ラストのタンゴを踊るシーンはもう最高です。あのシーンがこのキャラの破天荒さと狂気、暴力性、そして醜さなどすべてを表しているのです。
ヒロイン役のマリア・シュナイダーもいい。
若い女性の可愛らしさやわがままな部分、そして彼女も主人公に負けず劣らず「狂気」を秘めています。
その表現のアプローチがブランドとは違った色を示し、二人の関係を対照的に映し出します。
ラストシーンの狂気性
あらすじでも書いているので言ってしまいますが、この物語のラストは拳銃を持ったヒロインが主人公を殺して幕を閉じます。
ヒロインが結婚し、自分の元から去っていくことに激怒した主人公は逃げるヒロインを街中追いかけまわし、最後にはヒロインの部屋まで追い詰めます。
そこでもみ合いになった末、持っていた拳銃で主人公を殺してしまうヒロイン。
そのときヒロインは「知らない男に追いかけられた・・・。名前も知らない。」とつぶやくのです。
まさにこの言葉、ラストのこの言葉に狂気が見えるのです。
結局のところ、最後までヒロインは主人公のことを何も知らないのです。
「知らない男」とつぶやいたところで、観ている僕としては「あれ、もしかして本当にヒロインは主人公のことを知らなくて、全部主人公の妄想だったのでは?」とすら思わせてしまう。
物語はそこで終わるので、真相は観ている人ひとりひとりが考えればいいのですが、このラストシーンが本当に心に残ります。
まとめ
中年男と若い女性の肉欲模様を描いた『ラストタンゴ・イン・パリ』。
正直、一度見ただけでは難解でわかりづらい部分もあったので何度か「これは何度か見なきゃダメかな」なんて思ったりしています。
古い映画ですが、それにありがちな「見づらさ」のようなものはないので、すらすらと観進めることができると思います。
決して万人におすすめできる映画ではないですが、観る人が観ればきっとハマると思いますので、気になる方はぜひご覧になってみてください。
僕もマーロン・ブランド作品をまた見返してみようかななんて思ってます。
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