心はいつも悠々自適

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自由気ままな僕が、自由気ままに思ったことを書きます。

僕は義足です。

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ものすごく唐突なタイトルですが、僕は義足です。

 

正確に言えば、「右下肢切断による下腿義足」。右足の膝から下を切断していて、義足をつけて生活をしています。

 

これまでブログでもツイッターでもひた隠しにしてきて、もっといえば現実生活でもなるべくなら「義足であることを隠したい」と思って生きてきました。

 

今回は「僕がなぜ義足であることを隠してきたのか」、「義足になった経緯」、そして「なぜこのタイミングで明かそうと決めたのか」についてお話していきたいと思います。

 

かなり長い文章になってしまったので、よろしければ「目次」から読みたい項目に飛んでいただいてもけっこうです。 

 

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義足になった経緯

 

19歳のときに遭った交通事故が原因

 

僕が義足になったのは、19歳の時に遭った交通事故が原因です。現在25歳なので、もう6年前のことになります。

 

当時の僕は専門学生。家計に余裕がなかった僕は新聞奨学生制度を利用して、新聞配達をしながら専門学校に通っていました。

 

事故に遭ったのはその新聞配達中。時刻は朝の8時くらいでした。

 

配達時間は通常AM2時~5時くらいなのですが、その日はたまたま配達すべきお家に新聞を入れるのを忘れてしまい、営業所から「未配があるって電話があったから配達しておいて」と連絡があったのです。

 

その未配宅に新聞を入れに行く途中、事故に遭遇。

 

相手はワゴンカーで、僕は原付に乗っていました。事故原因に関しては僕の不注意による飛び出しだったので、相手を責めることはできません。

 

むしろ僕の不注意で事故に巻き込んでしまい、迷惑をかけてしまったと今でも思っています。

 

「なんで飛び出したの?」といわれると返答に困るのですが、単純に「眠かった、疲れていた」としか答えられないのが正直なところです。

 

いつもと同じ道、いつもとちょっとだけ違う時間。そこにたまたま疲れから来る不注意で、左右の確認が甘くなってしまいました。

 

事故に遭うときなんてそんなものなので、みなさまも本当に注意なさってください。お子さんがいる方はよくよく聞かせてあげてくださいね。

 

よく「事故直後は記憶が曖昧になる」といいますが、僕もそんな感じでした。

 

「ドンッ」という衝撃がしたあと、気づいたら空を見上げてぶっ倒れていました。あとから警察の聴取で聞いた話だと、7、8mくらい飛ばされていたそうです。

 

「あれ、なんだこれ」としばらく考えていると、運転手さんが近寄ってきてくれました。

 

「大丈夫!?」

 

事故直後は全身のしびれで痛みを感じていなかったので、とりあえず「大丈夫です」と答える僕。

 

事故に遭ったのは人通りの少ない住宅街だったのですが、けっこうな音だったらしく近所の人たちもでてきました。

 

救急車を呼ぶ人、僕に声をかけてくれる人、応急処置が必要なのかとあたふたする人。

 

周りの人たちはものすごいパニックになっていましたが、全身がしびれて動けない僕は自分がどんな怪我をしてるかの確認もできず、自分の血を見ることもなかったのでいやに冷静でした。

 

救急車に乗せられて病院に運ばれ、そのあたりからは気を失っています。

 

最初に運ばれた病院は埼玉県朝霞市にある某病院。当時は埼玉に住んでいて、事故現場から一番近い大病院がそこでした。

 

目が覚めるとベッドに横たっていて、右足や左肩など全身が包帯でぐるぐる巻き状態。

そこでは一週間ほど入院していました。

 

この一週間はまだ右足があったのですが、怪我でちゃぐちゃになってる右足が残っている状態というのはかなり痛くて。

 

連日連夜の痛みと熱で眠ることもできず、僕の人生で「もっともツライ思いをした」一週間でした。

 

一週間後、次は川越市にあるさらに大きな病院に移されます。

 

怪我の状態、入院先、手術のことなど、ここらへんのやりとりはすべて両親に任せっきりだったので、正直なところ今でもどういう経緯で切断することになったのかよく知りません。

 

両親も医者も、手術の直前まで僕にはっきりと伝えることはありませんでした。僕も怖くて聞けませんでした。

 

ただ、「怪我の状態が芳しくないこと」「手術をして右足を切断しなければいけないということ」、そしてそれを両親が見たことないくらい泣きながら僕に伝えてくれたことはよく覚えています。

 

そして僕は右足を失いました。

 

手術は深夜におこない、翌朝全身麻酔から目覚めるとベッドに横たわる僕の右足は短くなっていて、包帯でぐるぐるに巻かれていました。

 

「ああ、ほんとに切ったんだ~」と、そのときの僕は妙に落ち着いていたのを記憶しています。あまり実感がなかったんでしょう。 

 

リハビリ病院に入院し義足製作

 

切断手術をし一ヶ月ほど入院したあと、僕は神奈川県にある某リハビリテーション病院に移ります。

 

実家が神奈川県内にあり、僕や両親の負担を考えてのことだそうです。そこでも長い入院生活が待っていました。

 

「病院を移ったらすぐに義足が作れるのかな~」なんて考えていたのですが、義足を装着してリハビリするにも筋力が必要で、これまでの入院生活ですっかり衰えてしまった筋肉を鍛え直すところからスタート。

 

理学療法士さんと毎日リハビリという名の筋トレをしていました。

 

一週間ほどトレーニングを重ねたあと、いよいよ仮義足の製作に。

 

「仮義足」というのは僕が今使っているような「本義足」に入る前の試作品で、ソケットと呼ばれる器のサイズ決め、義足に慣れるまでの歩行練習、各種パーツの調整などをおこなうためのものです。

 

足のサイズ(といっても切断した足ですが)を測り、型をとって仮義足を製作。

 

初めて義足をつけたとき義肢装具士さんに「どう?」って聞かれたのですが、僕は「足で杖ついてるみたいです・・・」と答えたことを記憶しています。

 

最初は手すりに捕まり立つ練習からスタート。徐々に義足に体重をかける感覚をつかみ、手すりを伝って歩るけるようになり、手すりなしでの歩行練習、屋外での坂道歩行などを経てリハビリを終えました。

 

今ではすっかり慣れたもので、足があったころとほとんど変わらない生活を送ることができています。

 

義足に関しては僕のような下肢切断(膝下で切断)か大腿切断(太ももで切断)かで歩行の難易度がぜんぜん違います。当然、大腿切断の方が歩行が難しい。

 

「膝が残っているか否か」で歩く感覚がまったく違うんです。

 

そういう意味では、僕は運がよかったと思います。年齢が若かったこともあり、リハビリもすごく順調にこなせました。

 

リハビリを終え、「これでよし!」となった段階で本義足を製作し、今に至ります。

 

大変長くなりましたが、ここまでが僕が義足になった経緯です。 

 

なぜ義足であることを隠してきたのか

 

やっぱり、どんな風に見られるのか不安

 

そんな僕がなぜ今まで義足であることを公表してこなかったのか。これにはいくつかの理由があります。

 

一番の理由としては、どう見られるのかが不安だったから。

 

世の中には障害があることを自分の個性としてアピールできる人がたくさんいます。

 

ブロガーさんの中にも、障害を抱えていることをものともせず、むしろそれを武器としてブログに活かしている方をお見かけしますよね。

 

でも僕にはその勇気がありませんでした。

 

自分の中で「義足であること、障害者であること」はある程度納得し、「まぁこうなってしまったのは仕方ない!泣いても喚いても変わらんし!」と受け入れているつもりなのですが、やはり他人に「自分は障害者です」と伝えるのは勇気がいると感じます。

 

とくにインターネットという媒体で、不特定多数の人たちにアピールすのはなかなかに怖いものが。

 

「義足であることを知られたらどんな風に見られるんだろう」

 

こんな漠然とした不安が僕の心に宿り、今まで公表することができませんでした。

 

「義足」や「障害者」という個性を使わずに勝負したかった

 

またもうひとつの理由として、「ブログでは『義足』や『障害者』という個性は使わず、まずはそれ以外のところで勝負してみたい」というのもありました。

 

義足利用者は全人口のうちおよそ0.03%、約3.3万人程度いるといわれています。そのなかで「ブログをやっている人」となると、さらに少ない人数に。

 

僕がブログを始める際に「これを公表することは結構な個性になるかも」とも考えたのですが、同時に「そのカードはあまり使いたくないな」とも思いました。

 

僕にはゲーム、漫画、読書、映画、音楽、料理、筋トレetc...と広く浅くな趣味がいろいろとあります。

 

まずはこの趣味に関する熱い気持ち、思いを伝える記事をたくさん書き、他の人と同じ土俵で勝負して「結果を出したい」という思いがあったのです。

 

ここでいう「結果を出す」とは、「目標としているPVを稼ぐこと、収益を出すこと」です。

 

ブログを始めて半年以上経った今では「ブログをやる目的、ブログによって実現できることはそんな小さいことばかりではない」とわかるのですが、始めたばかりの頃はPVや収益を稼ぐことに躍起になっていました。

 

「まずは義足、障害者という個性を出さずに結果を出す。」

 

これが僕の心にあった思いです。

 

なぜこのタイミングで公表したのか

 

僕という人間をもっと知ってほしくなった

 

ブログを続けていると不思議な気持ちが芽生えるもので。

 

毎日のように「僕の好きなことを伝えたい!」という思いで記事を書いていると、だんだんとその気持ちがエスカレートしていくんですよね。

 

「もっと自分のことを知ってほしい、僕はこういう人間だということを伝えたい」

 

そんな風に考えるようになり、あれだけ隠したいと思っていた義足についてもしゃべりたくなってくるのです。

 

この気持ちについては理屈じゃ説明がつきません。そう思ってしまったのだから仕方ない。

 

人間とはもともとそのようにできているんでしょうね。本当に不思議なものです。

 

ブログ開設当初に定めていた目標に達した

 

これは先ほどの「義足を隠して結果を出したい」という話になります。

 

ブログを始めたばかりのころ、「いつかは月間50万PV、収益◯円を達成したい!」という漠然とした目標を立てていました。

 

いつも僕の拙文を読んでくださる皆様のおかげで、ありがたいことに先月その目標を達成することができたのです。

 

www.kokoro-yuyu.com

 

当初定めていた「義足であることを言わずに結果を出す」という目標を達成したので、「じゃあ公表してもいいかな」と考えました。

 

もし目標に達することがなかったら、僕は一生隠したままでいたかもしれません。

 

そういう意味では、僕がこうして義足であることをお話しできているのは、読んでくださる皆様のおかげでもあるのです。

 

僕に勇気ときっかけを与えてくださり、本当にありがとうございます。

 

まとめ

 

正直なところ、この記事を公開するかどうかかなり悩みました。

 

皆様からブログ、ツイッター等でどんな反応があるかわかりませんが、「へー」とか「そうだったんだー」とか軽い感じで読み流していただければこれ幸いです。

 

ちなみに今後ブログタイトルを変えたり、「義足ブロガー」とか「障害者ブロガー」的な肩書きで活動するつもりはありません。

 

義足であることを隠しはしないが、前面に出すつもりもない。

 

そんなゆるいスタンスで活動を続けられたらと思っています。

 

でもこれまでは言えなかった、「義足特有の悩み」とか「後天性障害者の思い」とかを記事にできたらいいなぁとは考えているところ。

 

長くなりましたが、今回のお話は以上です。お読みいただきありがとうございました。

 

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